改めてちゃんとジョジョを読んでみようということで読んだ感想文
Part1とPart2はすでに読んで感想を書いている
で、満を持してのPart3
このスターダストクルセイダースと銘打たれた部から「幽波紋(スタンド)」が出てくる。めんどいので以下スタンドと表記する
スタンドがジョジョの方向性を強く定めるきっかけの一つであることは言うまでもなく、というかもっというとジョジョの根源的な部分にあった「自分の知らない過去からの恐怖」というテーマの一つはPart3で一旦の結びとなって、Part4以降は「自分の知らない範囲からの恐怖」という方向に向いていく。これもスタンドという超能力の再発明が大きく作用していると思う
そんな中、ジョジョPart3には少しだけ変わったテーマが見え隠れするのでそれを自分なりにまとめたい
作中では、一貫して「孤独」が描かれている
例えば初っ端の承太郎でも「悪霊」に憑かれているといい牢屋に閉じこもっていたし、花京院も友人が少ないことや家族にすら心を開いていないような描写があった
これは敵側もそうで、何よりスタンド使いの刺客は基本的に全員個別に現れるし、DIOもカリスマ等が散々描写されるがその本質的な生き意地の汚さなどは承太郎と対峙するまで出てこなかったし、おそらくDIOの配下は誰も気づいていなかっただろう
本質的に、第三部では「他人に理解されない孤独な人物」を登場人物にしているのである
これは、スタンドという能力が stand by me(そばに立つもの)という言葉から来ているのもわかりやすい
つまるところ、スタンド能力は「孤独なものがそばに誰かがほしいと思って発現した能力」というのが、インスピレーション元なのではないかと考えられる
もちろん同名の曲および映画からの引用であることはよく知られているが、そこを引用しようと思ったのはおそらく孤独のあり方に対してそのタイトルが大きく合致していると考えたからなのではないだろうか
こう考えると終わるべき地点は明白で、理解者を得ることがゴールになっているのは明確である
最後のシーンの「花京院!イギー!アヴドゥル! 終わったよ……」はまさにそういった仲間のための言葉であり、彼らが無二の理解者を得ることができた証拠のシーンだったのではなかろうか
事実孤独をよしとしていたイギーや花京院は死ぬ直前に考えていたことは味方のことだった。アヴドゥルもかばうことはないとの約束を破りポルナレフとイギーを助けていた
と、ここで例外に関しても言及しておこうと思う
スタンドが孤独の埋め合わせの象徴として描かれている中で、あまり孤独ではなかった「例外」も触れておくべきだろう
具体例としてはアヴドゥルとホル・ホースで、この二人は何かを失ったり理解者を欲していたような描写はあまりなかった
特にホル・ホースはDIOのカリスマを感じつつ銃を向けたり、二度にわたって別のスタンド使いと共闘する形で襲いかかってくる
ただ、この二人についてもやはり孤独がそばにあったのではないかと考えたほうがいいだろう。彼らの社交性はいうなれば社会で生きていくための仮面で、理解者を求めるための交流よりも、仕事をこなすための最低限の交流だったのではないかと考えるのが妥当だと思っている
この二人のキャラクターはかなり成熟したものと描かれていたが、そうした孤独を隠せるほどの社交性という意味だったのだと思う
ちなみにジョジョの第三部最終巻ではあとがきがあるが、ここで荒木飛呂彦先生の「理解されない孤独」が書かれている
上記の感想はなんとなく読んでいる中で思ったことだが、まさかそこまでドンピシャだとは思ってなかった
感想に正解はないが、少なくとも孤独のあり方とその埋める存在の話は理解できたとも思った